あり方 ![]() 「踊る森」亭。 ホームの移民街で数多く新興したものの中でも特に後ろめいた空気ももった、裏路地の酒場の名だ。 合言葉がないと入ることさえ許されないこの酒場の奥にある密閉された部屋、それを取引部屋として彼女はたびたび利用している。 彼女の話す「表稼業」とは違う、本来の利用者──貴金属目当ての貴婦人や持病を抱える成金中年、裏社会の情報を求める冒険者や果ては暗殺団員などと取引をする、そんな神聖な場なのだ。 が、このときばかりは少々わけが違っていた。 「………」 この日の彼女は鬼も逃げ出さんばかりの目つきで俯いていた。 彼女の凝視の先には濃い青紫色のローブが握られているのだが、それは正面から見事に袈裟がけに一尺ばかり破れてしまっているのである。 慣れたような繊細な手つきでローブを押し広げ、切り口を観察した後、襟足のインクを零した様な黒い染みにまた顔をしかめ、 また他に刃物で開けたようないくつもの小さな穴を一つたりとも見逃さず数え、 更によく見ないと気付かない聖印の意匠の、更に分かりにくい刺繍のほつれ具合や、 点々と散っている水では落としきれなかった泥や血の染みへと視線を移していった。 やがて最後にひとつため息をついた後、とうとう不機嫌な声色を隠そうともせず切りだした。 「よっくもまァこんな品を私に押しつけてきたものね?」 彼女の目の前には黒い外套を両手で抱え、薄着の長そでシャツと長ズボンとだけを着た青年が佇んでいる。 申し訳なさそうに苦笑を浮かべている様子は彼女が通常接待する客たちと比べてかなり貧相な印象を与えるかもしれない。 「いやまぁ、貴方の腕が一番信頼できるものなので」 彼女の嫌味ったらしい言葉に対し、わざとらしく頬をかきながら青年は返した。 「あんた勘違いしてんじゃない?私は裁縫師じゃないって言ってるの」 「ああプライドを傷つけたことは謝りますが、でも引き受けてくれるんでしょう?」 「うっさい、大方他に頼むのが面倒だったんでしょ。いい迷惑だわ……で何ニヤついてンのよ」 最近の彼女のストレスと言えばこれだ。何故かこの町に滞在して、表稼業として冒険者に混じり始めてからこのような誤解を受けるようになった。 彼女が他人に無償の施しをする時は、そうしないとこちらに不利益が被る場合や、こちらにほとんど手間やコストがかからない場合のみという 合理的な思考の結果でしかないのに、どうもそれだけで良い人と判断する短絡者が多すぎる。 この男もこの町で来てからできた顔見知りなのだが、どういうわけかこのようにたびたび服の修繕だの町の情報だのを知り合いのよしみで頼んできている。 そのたびにうんと大変な内職の手伝いをさせているのだが、やはりどうもナメられているような感覚を拭えない。彼女はまた眉間にひとつ皺を作った。 「じゃあまずは洗濯ですかね?」 とこれまたあからさまに話題を変える青年にルーモアはとうとう嘆息して、 「いいえ…このままだともっと広がっちゃうからもうここで仮縫いしちゃうわ」 と自らのコートから裁縫道具を取り出し、心底めんどくさそうな顔つきで針に糸を通す。 もみ洗いで広げないように、一番大きな切り口を玄人さながらの速さで縫っていく。 頼みを引き受けてくれたことに安堵した青年はテーブルの向かい側の椅子に腰を下ろした。 「神官ならそれらしく後ろで立ちつくしてればいいものをったく」 「いろいろあって少し無茶を。けど拳で破られるとは思いもよりませんでした」 「は……?」 「こう、防具としての機能性を奪うことに特化していた攻撃だったんですよ。災難でしょう?」 「あんまり悲壮感のある声で聞こえないのは何ででしょうね…」 そうですか…?とまた頬をかく仕草をする青年。 ─あれか、傷は男の勲章とか、この男もそう考える質なのか。それの埋め合わせをする身にもなれってんのよ。 と不満たらたらの視線を投げかけようと彼女が顔を上げると、まだ青年の顔がにこやかであることに気付いた。 もっとも陰鬱な瞳でいつでも沈んでいるように見えるこの表情を正確に読み取ることが出来るようになったのは、青年が彼女の常連客になってからだが。 そういえばついこの間にもこいつは自分の元へとやってきた、その時の顔は元々の暗い顔がより鬱屈してこちらにも伝染らんばかりだったのを彼女は思いだす。 何故だか最近の町の様相を聞いていた。何でも数か月町を離れていたとか。 数か月前に町を離れる原因の出来事があったのだろうと推測はたつが、それは自分の知るところではないので彼女は全く詮索しなかった。 がひと月かそこらで彼女の見たことないほど機嫌の良い様子で再びやってきたことを、彼女は妙に気になった。 「何まだニヤついてるのよ気持ち悪い」 「……えっそう見えます…?」 青年は意外そうな顔をした後視線を下に傾け、考える仕草をする。 「えーとまあ単純に依頼が上手くいったからなんですが…」 「あっそう…」 「そうだルーモアさん、子どもの服って作れますか?」 「ハァ?今度はなんなのよ!?」 「ええと背丈はこのくらいの少し痩せた男の子なんですが」 「あんたまさかその年で隠し子とか……」 「いやいやいや」 既に玉留めを施し、糸をまさに切ろうとしたところでまた面倒になりそうなことを耳にしたルーモアは作業の手を止める。 「今明らかに思いだしたような口調だったわよね。何?依頼で拾ったとか?」 「いやちゃんと自立してる人なんですが…何て説明したらいいか…」 「それならそいつが買えばいいんじゃない。ついでで、しかも子供服?どんだけ私の仕事を安く見てんのよ」 「言ったじゃないですか一番信頼しているって。せっかくなので良い服を用意してあげたいし」 なにその親みたいな言い分……、と口に出す気力もわかないまま彼女は呆れて頬杖をつく。 「意外ね…あんたって表面的で、そんな人に入れ込むような奴だとは思わなかった」 「…痛いとこ突きますねルーモアさんも…」 「あら図星?」 「人に優しくするって難しくありません?僕は本当の意味でそうするのは一生できないような気がするんですよね」 「あぁ……まぁね。でも別に必要なことでもないでしょう」 「でも憧れませんか?」 「全然」 「えー…ルーモアさんは出来る人だと思うんだけどな…」 「あ?」 「いえ優しさっていうのは…ちょっとまとまらないんですけどいいです?」 なんでそんなもんを聞く義務があるんだと思いつつ、まんざらでもない様子で彼女は清聴の姿勢をとる。 青年は何かの琴線に触れてしまったのか、あれこれ言葉を探す様子を見せていたがやがて手を膝に置きこう切りだす。 「叙事詩に出る英雄やそのへんの冒険者が(ル:随分な落差ね)理屈なく恋人や仲間を救うことや あと……常日頃から仲間のちょっとした異常のシグナルに気付いたり、こうしてあげると便利で助かるような気遣いをしてあげるのって どれも心からの思いやりを持ってる人が出来ることだと思うんですよね」 「………」 「で…まあ僕はその真似ごとが出来たから、多少舞い上がっているのかもしれません」 「ふーん、で。その優しく出来た子についつい世話を焼いてるのね」 「そういうわけじゃあ……」 そう言いかけて窓……踊る森亭には窓がないので壁の方へ目を向けた青年の表情は歪んで見えた。 それにどんな感情が込められているか頬杖を解いて反応する彼女だったが、その変化は一瞬だったため結局気のせいだと判断した。 「…もういいわ、ローブは明日の同じ時間にこの場所へ取りに来て頂戴」 裏通りの宿屋の一室が示された紙きれを無造作に投げ出し、慌ててそれをキャッチした青年はほんの少しだけ落胆する。 「…はい」 彼女はその商売方法から恨みを抱えやすいという危険ゆえに、定着した宿を持たない。 それも町の中心部のものは避け、移民街など表だっては経営できないようなものに限るという徹底ぶりだ。 もちろんそこは気品ある女性なので更にそこから金に糸目をつけず絞り込み、安全がしっかり保証されかつなるべく清潔感あふれるものを選択する。 というわけで移民街の中でも珍しい広くて綺麗に板張りされた部屋で彼女はようやっと今日の仕事を終える。 ベッドにばふりと身を預け一旦の休憩に息をつく彼女は、ふと視線を陰干しされているローブに向ける。 「優しさ、ね……あんな奴に諭されるのも癪だけど」 道理なく貧しい境遇を強いられている故郷のために、これまた大した道理がないのに金を持った人間から狡猾に搾取する。 そんな仕事で気付かない間に心の擦り切れていた自分は、その目的であった対象たちに心を割く余裕をなくしていた。 彼女は最近久しぶりにもどった故郷と、一斉に出迎えた子どもたちのことを追憶する。 冬のつごもりに足を踏み入れた村の中は相変わらず寒風吹きすさぶ痩せた土地で。 村人が私を見つけると皆で騒ぎ立てて、あっという間に子どもたちが集まってきた。 私の名前を呼び、また綺麗になったとか、いつも自分たちのためにありがとうとか、あふれる感謝の気持ちを言葉にする子どもたち。 思い返せばどれもしみだらけで色あせてて、寒さが苦手なのに薄着な子が多かったが、その時私は何もしてやれなかったのだ。 やがて彼女は勢いよく身を起こし、大量に仕入れた布地と染料をどすんと床に置く。 彼女の長い夜が始まろうとしている。 翌日部屋を訪ねてきた青年がまず面を食らったのが、こんもりとテーブルに積み上げられた無地の木札だ。 神官という役柄、そういう類の術に精通している彼は魔力を持たない彼女の代わりに呪文を刻むことで、 商品である大河諸神の加護の札を作る内職を手伝っているのだ。 ポケットマネーから出すことを渋る彼のために用意された時給制だが、明らかこちらの方が対価に見合わないのは彼も認識済みである。 「うわあこれはまた……」 「これでも安い方よ、手ェ抜いたらブチ殺すから」 そのような会話をしながらルーモアは奥から引っ張り出したローブを投げつける。 「うーん…相変わらず。まるで元通りですね、ありがとうございます」 青年がローブを広げて数拍の内にそう言うと、早速袖を通す。 そうして元の姿を取り戻した彼は、ようやく町で名の上がるようになったやり手の冒険者と一致するようになった。 「あとこれ」 「む」 ぽいぽいと続けざまに投げつけられる衣服が今度は青年の頭に直撃する。 それは田舎の子どもが着るような簡素なシャツとズボンのセットである。 「丁度大量生産する予定があったからね」 「ルーモアさん…」 ほらまたきた生温かい目線が。お見通しとするように彼女は顔をそらしたままにする。 すると青年は大げさに深々とお辞儀をした。 「最高の品をありがとうございます」 「そんなついでで作った安い服を最高って頭おかしいんじゃない?」 「いやいやこの空色の染め具合とか絶妙でこの刺繍とか細かくて…僕細かくリクエストしたっけって」 「……〜〜何よムカつくわね!いい加減言いたいこと言ってその腐った誤解を改めなさいよ!!!」 その日、移民街の裏路地のとある屋舎の一室から小さく電流音が走ったとか……。 |