【あの人との出会いの話】![]() あれはもう十年近くも前の事、厳密にいうならば○○歳の誕生日だったか、 貴族というのはなにかにつけ人のつながりを求めるものですから、 まあ誰がきた、誰が生まれた誰が死んだ、花がさいた、酒が手に入った、とにかく集まりたがるものなんです。 そこで誰が来るこない、どれだけあつまるあつまらないでまた面倒な当て擦りを始めるんですからまた面倒で。 さておき、僕の誕生日なんて別に誰もめでたいとはおもっちゃいないんですが、やっぱり人は集めるわけですし、集まっちゃうわけですよ。 僕は三男坊ですから、わりとはっきりと両親の思うところで相手が決まる兄上方とは違いましてね、まあフリーというやつです。 背伸びをすれば届くような、ちょうどいい相手という事ですね、商人、落ち目の貴族、娼婦にはては使用人なんてのもありました、僕は格好のエサでして。 なんですかねえ、鳥ならば派手な羽で目立つもいい、花ならば強い匂いで呼ぶのもいい、 しかし人間ともなるとそれだけじゃあすみませんから、僕は結構そういうのに飽きてきていました。 話がそれましたね、ゴテゴテしいパーティとどぎつい女性たち、めまぐるしい音楽と後ろ手に隠すことすらしない悪意、 僕は慣れっこではありましたけど、そういうことでその日は逃げ出すことにしたんです。 そうですね、それが、初めてそこから逃げ出した日でした。 きっかけは何だったか、単にもう我慢ならなかったのでしょうか。 すきをついてテラスから飛び降りて、ああ、あの眩しい明かりから逃れた瞬間の風の涼しさ、土の冷たさ。 まだあの時には気づいていなかったんですけどね、必死でしたから。 そういえば、僕がいないことには誰か気づいたでしょうかね、 まあまあ、どうでもいいことではありますから、気づかないひとのほうが多かったのではないでしょうか。 女性方も、僕がいないならまた別の相手を探すだけでしょうし。僕の家でも僕はさして重要な人物ではありませんでしたし、 そりゃあヘタなことをすれば邪魔になる程度の重要性はありますけどね、それくらいのものです。 でもその頃の僕は今に比べればおとなしいものでしたから。 適当におしきせられた僕の役割をそれなりにこなして、気持ちの上ではあーなんだこれ、なんかちがうなあとは思ってはいましたけど、 まず外に出たことがほとんどなかったものですから、何があるのか、何が出来るのか、自分がなんであるのか、なにも知りませんでしたし、 なにと比べることもできないということは、まったく考えもつかないという事なんですよね。 そんなわけで、おそらく家の者たちにも、僕がなにができるなんて思ってはいなかったでしょう。 パーティを抜け出すにしても寝室にもどってシーツをひっかぶっているかとでも、 一人か二人か、それは誤差ですし、例えばそうだとしたらまさかノックなんかしませんし…まあナメられていたんですよ、そういう事です。 しかし僕は皆が想像するよりはもう少し先を行っていました。 大冒険ですよ。ただひとりで庭を歩いていたんですからね、誰もみていない庭をですよ! まさに赤ん坊がその2本の可愛らしい足で立ち上がったようなものです。 僕はふらふらと歩きました。ただあの喧騒から逃れたくて発作的に出てきただけで、どこに行くなんて気持ちはありませんでした。 とてもそんなことは考えつかなかったんですよ。いやあ、いたいけですね。 ただホールから流れてくる、あの騒々しい音楽から耳を塞ぎたかった。 なぜですかね、その時は本当に気持ちが悪くなりそうでした。耳を塞いで走りたかった。 夜露で裾が濡れて、ああ、そうだ、とにかく人気のないところを選んだものだから、植木の間をくぐり抜けて、まるで子供のように。 実際にまだ子供だったんだと思いますけど、年以上にね、そして僕はただ歩き続けて、そして…あるものを耳にした。 ワルツは苦手なんですよ、さすがに社交界デビューの時には僕ですらも、家のメンツのために死ぬほど足運びを叩きこまれたんです。 あれがね、ワルツを聞くとどうしても浮かんできてしまう、1,2,3、1,2,3、ああもういいです、そんな気持ちになる。今はそこまで神経質じゃないですけど。 しかし僕のその頃にまで聞いた曲というのはそんなものばかりで。 ですから、その時に聞いたそれを最初は、まるで音楽だとは思いませんでした。 まるでそうですね、何かの動物の声、それとも、風の音、いや、なんだろうな、 …さすがに今となっては……なかなか、説明しづらい。ただ、ひどく異質だったのは確かです。 ショッキングな体験でした。その音と、そしてそれはまるで聞いたことがないものだったということが。 それは家の裏庭からもう少しいったところで、昔はそのあたりまで使っていたんですが、 玄関方面に庭を広げたのであんまり人が来ないところで、古い噴水は一応申し訳程度に水を流しているんですがまわりには花も植えてない、 いやあ、今思うとあれ不法侵入ですよね。 一瞬僕は目を疑いました。はしばしがすり切れたような緑色のマントを羽織り、緑色の三角帽子を頭にのせて、 噴水の縁に腰掛けた男が見たこともない楽器を爪弾いている。 月の光が強かったせいでその姿はよく見えましたが、逆にそれが濃い影を落として、その顔は隠れていました。 あの時は、古い物語の妖精か何かかと思いそうになりました。さすがに無理があるでしょう、と今の僕は思いますけれど。 僕が現れたことにその人はすぐに気づいて、しかしとりあえずその曲が終わるまで続けました。 僕はぼんやりとただ立っていました。きっと本当にボーッとした顔をしていたんじゃないでしょうか。 たぶん月を後ろに背負っていたでしょうし、ほうけた顔を見せないですんだだろうことが救いです。 その曲はシンプルなメロディラインで、一つ一つの音が力強く、 風にもざわつく木にもかき消されるようなものではなかったんですが、僕は身を固くして息を殺していましたね、 何故か、なにかもったいない気がしたんですよ、それを聞き逃すのが。 ひとつでもそれを聞き零したくなかった。 ひと通り終えてからその人は、なにやら集まりがあるときいてきたものの、自分の格好じゃ入れてもらえなかった、と笑って、 ちょうど観客もきたからなにか好きな曲があればやってやる、と言いました。 いやあ、難しい質問でした。その人は本当になにも全然そんなつもりじゃなかったんでしょうけど。 嫌いな曲と聞きあきた曲はありましたけど、僕には好きな曲なんてなかったんですよ。 名前をしっている曲ならまあたくさんありましたが、それも違う。 これがパーティ会場でしたら、適当で有名な曲の名前をあげて微笑むだけでいいんです、 でもどうしてか僕はその時、そんなことは考えつかなかった。実に困りました。 だから正直にいいましたよ。「特にありません」って。 さすがにその人も苦笑した気配がありました。「それも寂しいな」って、じゃあ俺がオススメをきかせてやる、とかなんとか、まあそんなかんじで。 そうやっていくらか弾いてくれたんですが、僕にとってはどれもこれも新鮮なものでした。 ただ単に聞いたこともないものだった、というのもありますけど、彼はなんだか楽しそうだったんですよ、そんな風に歌う人を僕は知らなかった。 小一時間ほどで彼は去りました。親に心配かけるだのなんだのとありきたりな理由で。 僕はもうすこし聞いていたかったんですが、そんな我儘をいえる子供でもなかったものですから。 …そうですよ、それだけです、僕たちが会ったのはそれくらいのものですよ、大したものでもないでしょう。 僕はまたコソコソと家に戻って、そろそろぐだついてきた会場を無視して部屋に戻って耳に栓をして寝ました。 そんなことをするのも初めてだったんですよ、いやはや、なぜそれまで気づかなかったのやら。 |