【人からの自分】 ![]() 強くなりたい、と彼女が訪ねてきたのは夜の十時頃であった。 随分と、先日の説教が身に応えたと見える。 目は充血していて、眠っていないのか泣き腫らしていたのか、 アティアは僅かに溜息をついてから、彼女にベッドに腰掛けるように促した。 自身は木の椅子を引っ張ってきて、対面するように椅子を置く。 「ココアで良いね?」 スティは僅かに躊躇った後、小さく頷いた。 「こう言う時に遠慮なんてするもんじゃないよ、君らしくもない」 少し俯くスティ、 大分変ったな、とアティアは感じる。 恐らくは今のところ良くない方向に、けれども彼女の性格からして暫く放っておけばその変化はやがて反転するだろう。 そして多分彼女自身も感じている事だけれども、恐らくそれでは良くない。 何にとって良くないか、というのは問題だが、恐らく彼女自身はそれを良しとしないだろう。 スティは今、感情の起伏による変化ではなく、もう一歩、もっと何か違う物を掴みたい、と感じているのだろう。 まぁ自分自身、人に何かを言えるほど立派な人間ではあるまいが、と考える。 出来るだけ甘く作ったココアを彼女の手に握らせてやり、自身は水をコップに注ぐ。 椅子に腰かけて、水を口に運びながら彼女の様子をそれとなく観察する。 目がとても赤くてそちらにばかり目が行っていたが、目の下にはくまも出来ている。 ローブはそれなりによれよれで、頬にも普段より赤みが差している所からするとつい先ほども泣いていたのだろうか。 髪もいつもとは違って、ふわふわと言うよりはくしゃくしゃであった。 アティアは一つためいきを吐く。 「そんな簡単に情緒不安定になる人だとは思わなかったけどねぇ」 「私も、ちょっと、予想外で戸惑ってます」 だろうね、と軽く受け答えをする。 さて、強くなるために必要なものとは何だろう。 自分自身、まだ自分のトラウマと決別できていない、逆鱗に触れられればすぐに化けの皮がはがれるほど弱くて無様な人間だ。 そんな自分が彼女にアドヴァイス出来る事等有るのだろうか、と考えを巡らせる。 湯気の立つココアを少しずつすするスティ、 自分のコップを傾けながら、それを観察する。 アドバイス出来る事、さて、何を言うべきか。 別に自身には彼女に何かアドバイスする義務はないのだが、全く、情が移ってしまったのか、 それとも少し、彼女が羨ましいのか。 今一番彼女に足りてない物を言ってやれば良いだろうか、 思慮が足りない、自制心が足りない、様々足りない物は有るだろう、少し考える。 言葉で言うのは容易い事、で良いか。 「スティ」 「はい」 まるで授業を聞きに来た生徒のようだ、いや、実際彼女はそんな気分なのだろう。 「君は、そうだな、前に言った事と近い事ではあるけれども、自分が常に好かれている、と心の底では思いこんでいる筈だ 無論君はそれなりに聡明ではあるから、言葉で自分を好きではない人もいるかもしれない、と自分に言い聞かせようとしているけれども」 少し、顎に手をやり、指で頬を叩く。 「そうだな、コミュニケーションが常に自分からの視点なんだ、常に自分の評価が一番にやってくる」 「自分の評価、ですか?」 「そう、コミュニケーションというのは常に他者からの評価でしかない、言葉が、自分が意図した意味と別な意味で相手に受け取られたら、その言葉は相手が受け取った意味しか持たない」 「……」 「例えば何気ない家族についての会話、その中で祖父についての話題がボクに振られたとする、 ボクは勿論ブチ切れる、この時相手が大した意図を持っていなくても、そんな事は受け取る側には何の関係も無い、コミュニケーションとはそう言う、常に一方通行のものなんだ」 「でも、相手の意図を聞いたら気分が変わる時もありますよ?」 「それはそもそもの所『相手の意図その物』に怒っていて、意図に誤解が生じている時だ、 そしてその時だってあくまで相手の意図を受信して、やはり受け取る側が勝手に解釈するだけにすぎない、一方通行な事に代わりはないよ」 スティは少し目を伏せる。 きっと、言葉にできない感情を呑み込もうとしているのだろう、そしてその感情は彼女の事だからきっと、否定された怒りではなく、 コミュニケーションが常に一方通行にすぎない、という、端的に言えば決して人は分かりあえない、という言葉に悲しみを感じているのではないか、 そんな気がする。 何ともご苦労な事だ。 「恐らく君の場合はそこの部分、他者の立場になる事が足りてないんじゃあないかな、 他人の事を考える、という事はそれなりには行っているかもしれないけれども、考えるだけでなく実際にその立場になって感じる、という事がコミュニケーションの上ではそれなりに大事だ。 言葉での思考は時に何の意味も持たない、人と人が会話をする時には実際にどう感じたか、以外は全く無意味な事も多い、その感じる、の部分が人に好かれたい、とか人を助けたい、と思った時にはとても大事になる」 「そこが、足りていない、と」 「そう、君は人を助けたい助けたいと思っているのに、その人自身の立場にはならない、言葉で考えて、自分の立場からその言葉を投げかけるだけだ、時にそれは感動的に見えるかもしれないが、時にそれは全く無意味だ」 自己中心的、とはまた少しそれは違う事。 如何に優しくても、如何に思慮深くても、投げかける言葉が常に自分の立場からである、という事。 人を理解は出来ても共感が苦手、きっと彼女はそう言う人だ。 理解して、自分の解釈をして、悲しんで、けれどもそこに相手の意思はきっとあまり内在されていない。 「そう言うのはとても難しい事だけれどもね」 そう、それはとても難しい事、だから大概の人はそれを早々に放棄する。 僕自身、僕が必要としない人達の事なんか考えるのもしんどくて大概は知った事ではない、という態度を取っている。 必要が無いからだ、その方が事実楽だし、必要無い物まで拾い集める必要はない、人生は出来るだけ軽い方がいい。 けれども、 「君に関してはそれが必要になる事も多いと思う、君が本当に世界中を助けたいだなんて馬鹿げた妄想を掲げるならね」 理解は救済ではないのだ。 共感だけが救済足り得る、だから救われる人なんて大して居ない。 ……救われる、なんて事は殆ど無い、皆、自分で自分を救うしかない。 他人を自分が救える、と本気で思ってる奴は一番性質が悪い、それが目の前で泣きそうな目をしてる少女だなんてなおさらだ。 そのくせ諦めないのがまた腹が立つ、何度も何度も心折れてるくせに。 「君はいつだって自分の事しか考えてないんだよ、必ず好かれると思っている、もし君がやりたい事を実際にやると言うのならそこは直さなければならない」 あぁ、また泣いた。 充血した目一杯に湛えていた涙が一粒一粒、大きな雫になって垂れている。 地面にぽたりぽたりと落ちて染みを作る。 頭の裏がちりちりする。 諦めれば良いのに、 そんな大層な事はできません、他人の気持ちになってみるなんてできません、だから諦めます、と言えば良いのに。 痒みに似た苛立ち、 きっとこれらの苛立ちは彼女そのものに向けられたものじゃない、 僕自身に向けられた苛立ちを、彼女が原因だと責任転嫁しているだけにすぎない。 「……大層な事じゃない、理解と共感は全く別だけれども少し似ているからね、もっと、大事な時に人の事を考えるようになれば良い」 何故此処で僕は彼女に優しい言葉をかけてしまうのだ。 自分で自分に呆れる。 涙は止まらない、あぁ、理由がある涙じゃないものな、それは感情が流してる涙だから止められないだろうさ。 僕も分かってるよ、何だよ、こんな所に共感が転がってるだなんて心外だ。 溜息をついて、手招きをした。 のろのろと近寄ってくるスティ、 苛立ちと共に、抱きしめてやった。 とうとう涙はとどまる所を知らず、ここ最近泣きっぱなしだったろうに何処から流れてくるのだと言う程、涙が流れてくる。 そうだろうな、僕だってこうされたら嬉しかったんだから。 痒みに似た苛立ち、 何でだ、 何でこいつはそんなに何もかも大事なんだ。 心がささくれ立って行く。 視界の端に、壁にかかった古びた帽子が見える。 僕には大事な物は一つしかない、それはもう僕の手元にない。 彼女は大事な物がたくさんある、そしてこれからもたくさん大事にしていく。 自分勝手極まりない、それがきっと羨ましい。 そんな事を認めるのは癪だったので抱きしめる強さが自然と、痛いほど強くなる。 自分のこの感情を認めるのが我慢がならない、 「……クソッ」 悪態が漏れる。 泣きだしたいのは僕の方だ。 とても、とても、むず痒い。 ![]() |